株式会社Better 代表
一般社団法人長崎みんな総研 所長 鳥巣 智行
私は長崎市に生まれ、高校までを長崎市で過ごした。
大学進学を機に、地元を離れて千葉県の大学・大学院で6年間を過ごし、東京の広告会社に就職。13年間東京で暮らした後、2021年9月に故郷の長崎市に拠点を移して「株式会社Better」を起業し、地域や社会をより良くするために、企業や自治体の魅力発信から教育まで様々なことに取り組みはじめた。なぜ長崎に帰ってきたのかと聞かれることも多いが、そのたびに「450年かけて築いた文化と100年に一度の変化の両方が、今の長崎には共存しているから」と答えている。文化と変化の両方を兼ね備えた“まち”はそうそうあるものではない。その可能性に惹かれた。
その可能性を生かすも殺すも私たちの手にかかっていると感じる。文化は額縁に入れてありがたく飾っておくだけではもったいない。時代の変化にあわせてうまく活用することで、いっそうその価値が高まるはずだ。
一方で100年に一度といわれるまちの変化も、その土地の文化を無視した開発になってしまえば、他の都市と変わり映えのしないものになってしまうだろう。文化の中にこそ変化を取り入れ、変化の中にこそ文化を取り入れるべきではないだろうか。この「文化と変化のかけ算」こそが、私が取り組んでいる仕事のひとつだ。その事例をいくつか紹介したい。
出島の歴史×出島組織という社会のトレンド
2022年11月12日。長崎市の出島で史上初となる「出島組織サミット」が開催された。出島組織とは、企業や自治体が新しいことを生み出すために、本体から離れた組織をつくり事業を推進する取り組みのこと。本体と距離をつくることで、外部と連携しやすいというメリットや、組織を小さくすることで意思決定をスピーディにできるといった特徴があり、特に新規事業開発や新商品開発などの分野で注目を集めている考え方だ。出島組織サミットは、日本中で増えている出島組織が長崎の出島に集い、元祖出島から出島組織の組織運営のヒントを学ぶイベントである。3年ほどの準備期間を経てようやく実現したサミット当日、シンガポール、東京、神奈川、大阪、山口、福岡、大分、佐賀、そして長崎から30組織52名が集まった。
サミットでは、まず「出島組織とは何か?」と題し、様々な出島組織の「型」について紹介した。大企業の新規事業部といったかたちだけではなく、大学や自治体がつくるケース、総研やラボをつくるかたち、伝統工芸の出島組織など、独自調査によって類型化された出島組織のパターンが発表された。
その後、参加全社が自己紹介してそれぞれの取り組みを1分で共有。1分という短い時間にもかかわらず、それぞれの取り組みは興味深く、参加者同士のつながりづくりのきっかけとなる時間に。
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午前のセッションが終了し、ランチは出島表門橋公園で出島を眺めながら、様々なメニューがミックスされた長崎名物「トルコライス」を。その後実施された出島組織のための特別出島ツアーでは、事前にピックアップされたスポットを学芸員にガイドしてもらう。「なぜ幕府は江戸ではなく遠く離れた長崎に出島を作ったのか」「辺境から新たな文化がうまれる理由」「「つなぐ」だけではない、橋がもたらす意外な機能」など、出島組織の組織運営のヒントになる解説を受けながら出島を見学した。
「知らなかった!こんな出島組織がある」と題した後半ひとつめのトークセッションでは、大企業型ではない珍しいタイプの出島組織の成り立ちや、スタートアップのコミュニティづくりから地域間のリソースの共有まで、出島組織だからこそ生まれている多様な成果が紹介された。最後のセッションでは「本土との橋のかけかたについて」をテーマに、いまだかつて注目されたことがなかった「出島組織」と「本体組織」の橋のかけかたについて話を聞いた。橋をかけなければただの「島」となってしまう。出島組織を維持していくうえで橋のかけかたは重要だ。各社環境や条件が異なるなかでの様々な工夫が共有された。
すべてのセッションを終え、最後に長崎出島組織認定式を実施。長崎出島組織認定とは、事前に申請した組織に対して、所定の条件を満たしているか実行委員会が確認し、長崎市が公式に認定するというもの。記念すべき第一回の認定式では14社が認定を受けた。認定証と出島への年間パスポートを、長崎市長が授与するセレモニーを行い、第一回目の出島組織サミットは幕を閉じた。
サミット参加者のメンバーとは、今後もオンラインなどで交流を続けながら、長崎県内企業との連携などにも取り組んでいく予定だ。長崎の出島が、出島組織をはじめとする「新しいことを始めたい人」のメッカになることを目指すこの取り組みは、長崎が持つ出島という文化に、出島組織という世の中の変化をかけ算したもの。文化と変化のかけ算によって、長崎でしかできない取り組みになった。
やさしい文化×社会の変化
長崎の人はやさしい。そう思うのは私だけではないだろう。実際に「優しい人の多さが自慢」ランキングでは、長崎が全国一位というデータもある。道に迷っている人がいたら3、4人近づいてくるとか、目的地までついてきてくれるとか、そういったエピソードにも事欠ない。「やさしさ」は長崎独自の文化といえるのではないか。開港以来、様々な文化を受け入れてきた寛容さや、様々な悲劇を乗り越えてきた文化や歴史があるから、やさしい人が多いのではないか。この長崎が持つやさしい文化は、変化の只中にある今の時代にこそ求められるものではないか。そんな仮説のもと企画したのが2021年11月から2022年12月までNBCラジオで放送された「やさしいラジオ」という番組だ。
高校生から定年間際のベテランまで。書店員、デザイナー、ラッパー、活動家、チアリーダー、経営者、シンガーソングライター、学芸員・・・様々なアプローチでやさしいことに取り組んでいる方々の話を聞いた。
気候変動や感染症など世界規模の課題が私たちの日常を脅かすなかで、SDGsの目標が掲げられるなど多様で持続可能な社会づくりが求められている。右肩上がりの時代も終わりを迎えるなかで、長崎が持つやさしさの文化はこれからの社会づくりヒントとなるものではないだろうか。
平和の文化×表現の変化
平和に関するプロジェクトも紹介したい。私は高校時代に高校生一万人署名活動の一期生として活動したことがきっかけで、「平和の文化」の発信にライフワークとして取り組んでいる。これまで先人たちが築き上げてきた長崎の平和の文化をリスペクトしながら、時代の変化もふまえた平和の伝え方や平和学習のありかたを模索中だ。有志で「Peace Education Lab」という団体を立ち上げ修学旅行生の受け入れなどに取り組むほか、長崎新聞と共同で8月9日の新聞広告を制作している。
2021年に制作した「13865の黒い丸と、ふたつの赤い丸」は、新聞紙一面に黒いドットがしきつめられた新聞広告だ。よくみるとそのうちのふたつだけが赤くなっている。黒い丸は現存する核兵器の数を、赤い丸は広島と長崎で使用された核兵器の数を示している。核兵器廃絶を訴えてきた長崎の平和の文化に、表現で変化を加えることで、多くの人に核兵器の脅威を体感してもらえる原稿となった。長崎の平和の文化は、核兵器の使用リスクが高まりをみせるなど変化する世界情勢において、ますます重要なものとなっていくだろう。
右手に文化、左手に変化
ジェームズ・ウェブ・ヤングという人が「アイデアの作り方」という本の中で、アイデアをこう定義している。「アイデアとは既存の要素の新しい組み合わせである。」ゼロからイチを生み出そうと思うとハードルが高いが、すでにあるものを組み合わせることでアイデアになると考えれば、企画をするにも気が楽になる。文化と変化のかけ算も、既存の要素の新たな組み合わせを探すひとつの方法だ。不易と流行。自社プロダクトと、世の中のトレンド。自分の好きなことと、社会が求めること。ふたつの円が重なる部分にアイデアは埋まっている。
工夫、改善、発明、変革…先人たちの「よりよくしたい」という気持ちの連なりの先に、いまの私たちの生活がかたちづくられている。私たちもその文化や歴史を引き継ぎ、よりよい未来につなぐ仕事に取り組みたい。Betterという社名にはそんな思いを込めた。文化をリスペクトする謙虚さと、変化を取り入れる柔軟さの両輪で、Betterな長崎に貢献していきたい。