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長崎経済研究所

ソーシャルインパクト・ボンド:
社会課題の解決アプローチ
「はなれ瞽女おりん」にみる福祉政策の今日的展開
(後編)

活水女子大学 国際文化学部教授

細海 真二(ほそみ しんじ) PhD / MBA

職歴:グローバル企業(製造業)海外現地法人経営、経営管理職歴任

専門分野:非営利組織経営、アントレプレナーシップ

趣味(関心事):海外古典文学・古典映画、長崎街道シュガーロード探訪(特に餡にこだわる)

 前編(1章から4章まで)は、ソーシャルインパクト・ボンド(SIB)とはどのようなものか、その仕組みに関してご案内しました。後編は国内外の具体事例を交えてご説明していきます。

5 具体的事例

5-1 オランダ・ロッテルダムのケース

 海外事例のなかで就労支援ケースとして、ロッテルダム市で実施されたヤングビジネスクラブ(起業塾)をとりあげたいと思います。ニートの若者に起業のノウハウを提供することで、社会からドロップアウトした若者を就業の場に戻すという取組みです。
 ロッテルダムは欧州でも有数の移民社会です。ヨーロッパ最大の港湾都市であり、人口約65万人の規模です。国籍数は176にのぼり、人口の15%をイスラム教徒が占めます。また、約4万人の子どもが貧困生活を強いられています。移民は経済基盤が弱く、職業選択の自由度に乏しいとされます。またホワイトカラー職を含めて正規労働の就職に門戸が閉ざされている傾向があります。それゆえに貧困と隣り合わせとなり、非行、犯罪の予備軍になりうる可能性を否定できません。そこで、ロッテルダム市は、オランダ最大のメガバンクABN AMRO銀行の投資を得て、ヤングビジネスクラブをサービス実行者として、移民家庭の無業の若者を対象に、ビジネスに関心を惹きつけ、自身で起業する可能性を後押しする取組みをSIBの手法を用いて実施しました。
 プログラムは、個人の適性にあったカリキュラムを選択し、キャリアプランを立案していくもので、大きく分けて三項目からなります。

I.       起業家スキルの養成:ビジネスマナーやマネジメントスキルを獲得するコース
II.      個人的能力開発:責任感の醸成、被害者意識の払拭、自己管理や現実的な目標設定、自尊心の向上などを獲得するコース
III.     個人的な問題に対する支援:借金返済や薬物依存に対する治療を行うコース

 これらの基本コースは教師と生徒という立場で行われ、その後はメンター、メンティーとして個人の関心事項や適性に沿ってキャリアプランを立てていきます。このクラブは企業や団体への就職と並行して、起業を支援しているのが特色です。ヤングビジネスクラブは、あるきっかけによってオランダ全土でブレークしました。それは国民的人気が高いオランダ王室のマキシマ王妃がクラブを訪問し、生徒たちと交流するニュースが全国放送されたことです。王妃が訪問したヤングビジネスクラブは大きな関心を呼び、その存在が広く知れわたり、受講希望の問い合わせがくるようになったのです。こうして在校生も注目を浴びるようになり求人企業が増えていく好循環が生まれました。
 SIBのプログラムはスタート以来順調に推移し、受講生160名のうち50名が起業や就職を果たしており、現在80名が求職中です。受講生の経済的負担はなく、また起業時にはスタートアップ資金の申請が可能です。その結果、SIBとして組成されたプログラムは設定した成果目標をクリアし、ロッテルダム市から資金提供者のABN AMRO銀行に対し、金利を含めた投資費用の償還がされました。ABN AMRO銀行にとっては社会貢献の投資を行い、企業イメージの向上にも資するというメリットを得ることができたわけです。ここでも、中間支援事業者が行政と資金提供者のコーディネーターとして、さまざまな橋渡し役を担ったことが大きいといえます。また、王妃の視察をメディアが報道したことで、国民的関心が醸成されたことも成功要因にあげられます。この案件の成功は次の展開につながり、ロッテルダム第二号案件とユトレヒト第一号案件が始動しました。さらにオランダ南部のアイントホーフェンでもSIB案件が始まっています。若年無業者の就業支援の取組みは、SIBのスキームで過去に組成事例がありますが、起業の支援はロッテルダム案件が初めてのケースです。若年無業者に働く意欲をもたらしたロッテルダムSIBは成功事例と位置付けられています。

5-2 滋賀県東近江市のケース

 つづいて国内の事例をみていきましょう。東近江市は2005年に周辺町村の合併によって誕生した自治体で琵琶湖東岸に位置する人口11万人、県内4番目の規模の都市です。また、近江商人発祥の地として知られています。
 さて、ここ東近江市ではじまったSIB事業について紹介していきます。
 自治体の補助金で行われる事業を成果連動型に転換し行政の歳出の有効性を高めるとともに、地域課題を解決する仕組みを構築する仕組みです。事業主体として公益財団法人東近江三方よし基金と地元の信金、京都の社会的投資を専門に行うプラスソーシャルインベストメント株式会社が協定を締結し、社会的投資(インパクト投資)と行政補助金を組合せた事業を行っています。近江商人が商いをするうえで大切にした経営哲学に三方よしというものがあります。すなわち、「売り手よし、買い手よし、世間良し」を三方よしと呼びますが、これは今日的表現で、CSR(企業の社会的責任)の原型モデルといえるものです
 さて、東近江市の取組みは、2016年にスタートし、現在5期目に入っています。それぞれの課題に対して、補助金を供出するにあたり、成果に連動したものかどうかを計測し、成果に連動した支出を行っています。これは、従来型の行政の補助金ではなく、出資者から資金提供を募り、事業期間後に目標をクリアすれば、行政がその元本を出資者に償還するものです。事業者とっては、成果を達成すれば間接的に行政から投資を受けたという解釈となります。リスクは出資者が負いますが、事業者も出資してくれた投資家に報いるため懸命に努力し事業を軌道にのせようと奮闘することになります。

東近江市SIB事業内容

・外国人学校の仕組みづくりプロジェクト(多文化共生)
・Happy Food Networkプロジェクト(フードバンク)
・ガリ版伝承によるまちづくりプロジェクト(伝統文化継承)
・地元産ぶどうを活用したワイン醸造を実現する環境整備(アグリビジネス)
・地域で育む子どもの居場所づくりプロジェクト(子ども食堂)
・障がいのある子どもと保護者の未来応援プロジェクト(障害者福祉)
・政所茶の販路拡大・ブランディング応援プロジェクト(アグリビジネス)
出所:内閣府ウェブサイトほか参照、カッコ内は筆者追記

 

 SIBの要件となっているのは、東近江三方よし基金が、市民や市内事業者から出資を受けて出資先を決定し運用している点です。また京都の社会的投資ファンドのプラスソーシャルインベストメントと検討を重ねて、成果目標の設定や支援の仕組みを提供していることです。支援額は、案件によって異なりますが、50万円から360万円です。この仕組みによって社会問題の解決と事業収益を計上し継続的なビジネスを可能にする社会的起業家(ソーシャル・アントレプレナー)が育成されるという好循環が生まれつつあります

6 長崎県内の社会課題を解決するために

 SIBは、ソーシャルファイナンスやインパクト投資に重要な役割を果たしています。現在、多くの自治体が、これまでの公共サービスを代替する方法としてプログラムの組成に向けた検討を行っています。次に述べる項目は、長崎においてもSIBを活用し、社会問題の解決を検討する示唆になると考えられます。

①さまざまな民間のステークホルダーと財務・非財務の資源を統合することで、自治体が資金を準備できない、あるいはリスクをとる準備ができていないケースにおいて社会的介入を可能にする仕組みであること
②社会的介入の開発や提供に携わる人々(NPOや社会的企業など)にとって、より効率的に知見の共有や管理を可能し、集合知を得る仕組みになること

 SIBは、公金支出の正当性が保証されていない場合にも、実験的なアプローチとして社会的介入を実現する可能性を有するものです。SIBを適切に運営するためにはその仕組みと関係者への制度設計に対する説明が重要です。また、事業評価も重要であり、評価基準の明確化とともに、適切なデータ収集と複合的な視点の考察を行うことが必要です。日本でもSIBへの関心が高まり、2017年以降本格的な展開が始まっています。一方で、研究者の間では、「当初は投資に注目が集まり、加えて財政コスト削減が過大に強調されてしまった」ことを指摘しています。さらに「現状では評価基準がシンプルすぎること、次に今後克服していくべき課題として出口戦略をどう描いていくか」ということを述べています。

                      *

 今回は、SIBの誕生と具体的事例について考察してきました。ロッテルダムや東近江の事例は、すでに実践面の蓄積があり、メディアの報道や、事後の支援など多くの機関が連携することで得られる集合知、すなわち成功の方程式が導出されています。
 財源確保に関して、財団や投資家も含め民間事業者にとっては、企業イメージの向上という名声と経済的リターンの両面を訴求できます。そのためには、自治体や地域金融機関、財団が社会課題について共感を得ることができるような問題提起のストーリーを市民に積極的に開示していくことが必要になります。私たち大学関係者は問題提起のための情報発信のあり方に関して研究を積み重ねていくことが求められます。さらに、SIBの普及促進に向けて、どのようなインセンティブがそれぞれのアクターにとり有効であるかについて研究していきたいと思います。
 前編でご紹介した「はなれ瞽女おりん」のおりんに対するように、すべての人に健康と福祉を提供するため、その仕組みを考えていかなければならない、その手段としてSIBが考えられます。さらに、税の使いみちについて、バラまきではない、エビデンスに基づく政策(Evidenced Based Policy)を実現する契機になる可能性もあります。また、地域や共同体として再生を図ることは重要なテーマですが、経済的な生活条件を向上させるだけではなく、社会的な連帯を深めることにつなげていく必要があります。社会の公正や正義の実現のため、それぞれの立場でどんな役割が考えられるか共に考えてみませんか。

【注】

【参考図書】

加藤紘一「日本社会の再構築とNPOの可能性」工藤泰志編著『日本の未来と市民社会の可能性』認定NPO法人言論NPO、2008年。

塚本一郎・西村万里子「ソーシャルインパクト・ボンドとは何か」塚本一郎・金子郁容編 『ソーシャルインパクト・ボンドとは何か-ファイナンスによる社会イノベーションの可能性-』ミネルヴァ書房、2016年、41-73頁。

東近江博物館ホームページ

https://e-omi-muse.com/omishounin/facilities1.html

内閣府ウェブサイト、東近江市版SIB事業概要:補助事業を成果連動型に転換

https://www8.cao.go.jp/pfs/jirei/higashioumi01.pdf

ロブ・ジョン博士(欧州ベンチャーフィランソロピー協会初代事務総長)とインパクト投資に関して意見交換を行う。右:筆者

学外有識者から起業家養成に関するレクチャーを受ける本学学生(写真撮影目的でマスクを外しております)

(2021年12月9日)

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