活水女子大学 国際文化学部教授
細海 真二(ほそみ しんじ) PhD(先端マネジメント)/ MBA
職歴
グローバル企業(製造業)海外現地法人経営、経営管理職歴任
専門分野
非営利組織経営、アントレプレナーシップ
趣味(関心事)
海外古典文学・古典映画、長崎街道シュガーロード探訪(特に餡子系)
近年、ソーシャルインパクト・ボンド(以下、SIB)という言葉がメディアに登場することがあります。少々堅苦しい表現になりますが、SIBは、行政にとって成果報酬型ビジネスであり、このアプローチを社会実験として活用することが可能です。ただその仕組みを誌面でお伝えするのはなかなか難しいものです。そこである年代以上の人には記憶の片隅にあるであろう「はなれ瞽女おりん」(水上勉著)に登場してもらい説明していきたいと思います。
物語は若狭の国(現在の福井県)小浜で、女の子が生まれたことから始まります。盲目の子でした。両親は懸命に育てますが、とても負担になり子をおいて夜逃げしてしまいます。凍てつくような北陸の農村のさらに奥まった集落で村人が見つけ声をかけます。名前を問うと、「おりん」と答えます。さて、この子をどうするか村人たちが相談を始めます。なにはさておき食事をさせよと。また、最近子どもが成長した村人に、お下がりがあるだろうから服を用意しろと。こんな具合におかみ(行政)が関与せずとも、村人たちの間で手配が進められていきます。そしておりんが成長し年頃になります。さぁこの娘をどうするかという話になり、瞽女(ごぜ)にするしかなかろうとなります。北陸や越後には盲目の女性に三味線を弾かせ、歌を歌わせ一軒ずつ歩かせて、喜捨を得るという風習がありました。村のリーダーが、里におりていくことの多い村人に、顔が利くだろうから瞽女宿に話をつけてくるように命じます。視覚障害者に対する福祉政策が村人たちの相談で決まっていくというものです。NPO法があるわけでも、近隣住民福祉法があるわけでもありません。そういった社会がかつての日本における伝統的風土として根付いていた一例です。(注1)
これを制度化しようと、1990年代に自・社・さきがけ連立政権下において、社民党議員から当時の自民党幹事長へ働きかけが行われ立法化されます。そして、1998年に議員立法としてNPO法が制定します。さまざまな社会的課題に対して、NPOが法人格をもって対応していくことの端緒といえます。その後も超党派NPO議員連盟のメンバーがNPO法の改正に尽力していきました。(注2)
さて、これまで家庭や地域で担ってきたさまざまな問題解決に行政の役割が求められています。昨今、ニートや引きこもりなどの若年無業者の就労支援や養子縁組の斡旋といった課題にも政府機関の関与が求められます。これまでは社会問題とはならず、「はなれ瞽女おりん」の村人たちのように、地縁社会のなかで解決が図られてきたものですが、地方の過疎化、核家族化によって従来の地縁や血縁にたよる問題解決方法は機能しなくなってきました。そこで、行政に問題解決が委ねられるようになってきたわけです。一方、行政がいかなる課題にも対応していくことは不可能です。そこで、官民連携により公益事業を運営することが求められていきます。
「はなれ瞽女おりん」における村人たちは、現代風にいいますと、ステークホルダーが課題解決のタスクフォースに入ってくることを意味します。行政や民間、非営利組織の力量を束ねて、英知を結集しながら問題解決を目指すことが求められるわけです。そのためには事業資金が必要になります。その源泉は、地域金融機関が請負、事業を債権化し民間投資家に出資を募る方法が考えられます。民間投資家にとってはこのような投資は新たなフィランソロピー(社会貢献)の積極的参加につながります。さらに、公共支出に対するエビデンス文化の醸成にも貢献できる可能性があるわけです。
もともと、ニュージーランドの経済学者が、1988年にソーシャルポリシー・ボンド(社会政策債券)という特定の社会的目標が達成されたときにのみ償還される債券の概念を提唱したことが、原型のアイデアとなりSIBが形成されました。その後英国において第一号案件が実際に開始されるまで四半世紀近くを要しています。SIBを推進するために社会投資タスクフォースという組織が2000年4月に英国政府によって設立され、さらに2007年にはソーシャルファイナンス組織が設立され金融関係者や政府の専門家チームが参加しました。事業の目的は、社会的に不利な立場におかれた生活弱者にサービスを提供するための実践的アプローチの構築とされました。また、このなかで民間のファイナンスをいかに組み合わせるかという課題が浮上しました。そして、目的達成に向けて新たな契約の枠組みを開発しますが、これがSIBの誕生につながります。
2008年に発生したリーマンショックによる金融危機とそれに続く世界的な緊縮財政の影響を受けて、2010年に英国の首相となったデービッド・キャメロンは、就任前年の2009年にビッグソサエティ(大きな社会)構想を表明しました。これは、人々が共に、生活の改善のために助け合うことを核心的な概念としました。いわゆる共助の概念です。また市民に大きな力を与えること、政府から地域コミュニティに力を移すことを実行しました。そのなかで、公共サービスの開放という政策がありました。公共サービス改革によって、チャリティや、社会的企業、民間企業、協同組合などが競い合って、人々に質の高いサービスを提供できるようにする、また労働福祉プログラムによって、福祉手当の受給者を勤労者に変えるための支援が行われていきます。
自治体への権限委譲や地域住民の行政への参画、民間非営利セクターの支援、これらがSIBの誕生に向かいます。成果連動型報酬による社会投資スキームであるSIBは、具体的には、従来行政の事業として実施してきた生活福祉の各種施策に関して、行政がNPOや社会的企業などのサービス実行者に委託し、民間投資家が資金を提供し、中間支援事業者が全体管理を行い、成果が導出できた場合にはじめて行政が資金を還元するという成果連動型事業モデルです。
SIB第一号として英国ピーターバラ刑務所案件が2010年9月に実施されました。元受刑者の再犯率の削減に焦点をあて、民間投資家3団体が資金を提供し、政府資金を活用しないスキームが形成されました。刑期をおえ出所した元受刑者に対して就職の斡旋やメンタルケアを提供し、非提供のクラスターと比較して再犯率の減少度を評価することでアプローチの有効性を検証するものでした。その後、政府の後押しによって、案件の組成が続いていきます。政府自治体にとっての利点は、事業開始段階において起債などの費用の捻出は求められないこと、投資家にとっては成果が出れば元手は償還されますが、成果が出なくともフィランソロピーへの参加(別の言い方をしますと名声ともいえます)という非財務的便益を確保できるというものです。またサービス実行者にとっては、無報酬の活動ではなく、サービスの対価を得られる仕組みであり、持続的に活動の幅を広げることが可能になります。OECDの定義では、SIBは、官民パートナーシップの一種とされ、政府、財団、企業等が資金の調達当事者として参加する成果連動型支払い方式とされます。
SIBを組成するためのアクター(登場人物)を整理しておきたいと思います。
ここで重要なアクターは全体管理を行う中間支援事業者やサービスの結果に対して評価を行う独立評価機関です。中間支援事業者は民間財団や専門の非営利組織が役割を担うケースが多く、SIBの司令塔として投資家を募り資金提供を受け、サービス実行者に委託するという重要なミッションがあります。また、適正な評価を行う機関は大学や監査法人等の専門家が担当することが考えられます。
2010年の英国第一号案件がスタートして以降、2019年末時点で、世界各国で138件が組成され、投資額は441百万ドル(邦貨換算485億円)となっています。内訳は、就労支援が最も多く全体の32%を占め、続いて住宅問題17%、ヘルスケア対策が16%、子ども支援14%、早期教育が10%となっています。
SIBを組成するまでの手順についてですが、まずは重要課題の見極めです。続いて、課題を解決するための準備段階です。資金提供者やサービス実行者は集まるかどうか等が組成の可否につながります。さらに、組成管理については成果指標の設定や評価を担う公正中立な専門家の存在も鍵となります。アクターが揃った時点で組成に向けてのキックオフが可能となります。生活困窮者にせよ失業者にせよ、弱い立場にある人たちに対して実行されるSIBは、サービスの受け手と担い手が抱く感情への配慮と記録が重要です。どういった事例によってポジティブな感情が生まれるか、または逆に負の感情になるか、これらは成功を導出するための重要な要素になるものと考えられます。
【注】
1. 「はなれ瞽女おりんとNPO法」に関しては、加藤紘一「日本社会の再構築とNPOの可能性」を参考にしました。なお、NPO法の成立に関しては、多数の市民団体の貢献があったことを改めて記しておきます。
2. NPOは現在5万団体を超え、さまざまな領域で活動を展開しています。また、県内では581団体が登録されており、保健・医療・福祉、社会教育、まちづくり、子どもの健全育成をはじめとした諸活動を行っています。(内閣府NPOホームページ参照)
【参考図書】
OECDホームページ, https://www.oecd.org/cfe/leed/UnderstandingSIBsLux-WorkingPaper.pdf, P.5
Social Financeホームページ, http://SIBdatabase.socialfinance.org.uk/
加藤紘一「日本社会の再構築とNPOの可能性」工藤泰志編著『日本の未来と市民社会の可能性』認定NPO法人言論NPO、2008年。
塚本一郎・西村万里子「ソーシャルインパクト・ボンドとは何か」塚本一郎・金子郁容編 『ソーシャルインパクト・ボンドとは何か-ファイナンスによる社会イノベーションの可能性-』ミネルヴァ書房、2016年、41-73頁。
後編に続く