Ⅳ.ナイトタイムエコノミーの事例
外国人観光客向けのディープな日本体験として「Japanese snack bar hopping tour (スナック巡りツアー)」という観光商品がある。日本人でも一見客は入店するのにハードルが高いスナックを、外国人向けの日本文化体験として商品化したのは、オンラインスナック横丁文化株式会社の代表・五十嵐真由子氏である。五十嵐氏は、日本のスナックが外国人に対する観光コンテンツとして成り立つのでは?と、昭和の時代からの夜の社交場・スナックが、わが国固有の夜の文化であることに着目し、日本の夜の楽しみ方の1つとして、スナック巡りツアーを東京都内にて2022年12月から始めた。スナックの昭和レトロな雰囲気が、外国人観光客にとって異次元世界の体験となっており、結果、ナイトタイムエコノミーのコンテンツとなっている。
本ツアーでは、スナックのことを外国人に知ってもらうために、さまざまな工夫が凝らされている。ガイドは、フリップを使用してスナックの“ママ”について語り、その存在がこのツアーの強力なコンテンツとなっていることを説明する。それから、簡単な日本語によるお酒などの注文の仕方を教えるとともに、タンバリンやスティックライトを手にしながらのカラオケを他の来店客とともに楽しむ。ボトルキープも日本独自の文化となる。
本ツアーの特徴は、その予約のほとんどがインスタグラムであること。また、参加者の属性が、既に何回も訪日していて、日本の有名観光地などは周遊済みの富裕層が多いということである。その参加者数はSNSなどでの口コミの広がりから、現在は開始時の3倍ほどに拡大している。
スナックツアーのポイント
「オンラインスナック横丁文化株式会社」という社名から分かるとおり、同社が展開するのが「オンラインスナック横丁」である。このツアーを始めたのは、コロナ禍で存亡の危機に瀕していたスナックを支援するためであった。スナック探訪女子『スナ女』として全国700軒以上のスナックを巡った経験がある代表の五十嵐氏が、ママたちの窮状に応えようと、コロナ禍のなかの2020年5月、スナックの常連客向けにオンライン飲み会「オンラインスナック横丁」をスタートさせた。その参加店舗は当初の8店舗から、現在は約90店舗まで拡大している。
オンラインスナック横丁は、スナックのママの高い傾聴力や会話力を、国内・国外関係なく自宅で楽しめるサービスを提供するプラットフォームである。ここでは「店舗の中が見えない」、「価格が不明瞭」、「会話のテーマが分からない」などといったスナックの課題が解決できている。このため、その利用者の6割はスナック初心者で、半数が女性であるという、これまでのスナックの概念を覆す集客層となっている。スナック巡りツアーも、当初はこのオンラインスナック横丁を利用する外国人が参加していた。この取組みは対外的にも評価されており、次のようなさまざまな賞を受賞している。
①2022年12月、「日本中小企業大賞2022」の新規チャレンジ賞、最優秀賞。
②2023年3月、内閣府 知的財産戦略推進事務局によるクールジャパン戦略「CJPFアワード2023」のプロジェクト(事業)部門、優秀賞。
③2023年11月、ビジネスアイデアコンテストpocopoco、特別優秀賞。
3.ナイトタイムエコノミーのコンテンツとして
五十嵐氏は、スナック巡りツアーは地方におけるナイトタイムエコノミーの有効な手段になり得ると考えている。同氏は「日本の観光ガイドブックに“スナック”は掲載されていない。 全国にあるコンビニの数は5万5,000軒と言われているが、スナックの数はそれをはるかに上回る10万軒以上。スナックが外国人の誘客装置になり得るのであれば、全国各地に誘客用の新たな設備を作らなくても済む。地方におけるスナックツアーでは、店の紹介だけではなく、周辺のまちの楽しさもツアーに組み込むことで、ナイトタイムエコノミーを活性化するという、スナックを入口とした地方創生にもチャレンジできる」と語る。また、「スナックが遊休資産となっているところがあれば、当社が外国人誘客のツールとしてスナック巡りツアーを造成する手助けを行うことも可能である。スナックは地域産業であり、ママさんたちもその土地の地域性を知り尽くしている。自治体やDMOの力を借りながら、すでにある価値を磨き上げて、スナックをその地域の新たな誘客コンテンツにしていくことが可能である」と意欲的である。
日本のナイトタイムエコノミーの課題とナイトタイムエコノミーの可能性
※上記2点の図表提供:オンラインスナック横丁文化株式会社
4.長崎市における類似事例
長崎市では、同市内にミュージックバーなど4店舗を構える有限会社スリードラゴンズカンパニーが、「MICEなどで県外から来崎した人に対して、夜に遊びに行く場所が少ない長崎市内に、ナガサキの魅力を発信する夜の社交場としての機能を持つ店舗を経営する」というコンセプトを打ち出した。これが2022年の長崎市ナイトタイムエコノミー推進事業費補助金に採択されている(【前編】に掲載の【図表 2】参照)。
Ⅴ.ナイトタイムエコノミーの推進
ナイトタイムエコノミーは、そもそも夜の文化的価値を上げていく活動から始まっているが、近年は、コロナ禍前の「夜間の観光商品をどう増やしていくのか」という意味で用いられる場面が多くなってきた。これは、コロナ禍から明けた現在も、各地のナイトタイムエコノミーへの動きが、引き続き夜間の観光商品開発を主としたものとなっていることにも表れている。
これについて、一般社団法人ナイトタイムエコノミー推進協議会の齋藤代表理事は「ナイトタイムエコノミーには、夜間の観光、集客を考えて地域を活性化していく、といった側面ももちろんあるが、その一方で、地域の夜をどう作っていくのか、夜を通じてどういうビジョンを実現していくのかなど骨格となるものが必要である。地域の夜の価値とは何かを、さまざまなステークホルダーとともに議論を行い、そこから導いた結果をどう実現していくのかといった戦略が必要である」と語る(図表4)。
【図表 4】ナイトタイムエコノミーの新しいアプローチと推進の基本
※上記2点の図表提供:一般社団法人ナイトタイムエコノミー推進協議会
ナイトタイムエコノミーの推進にあたっては、まず地域にどのような価値を生んでいくのかなどの議論が重要であり、それによりどのような価値が地域にもたらされるのかという形が見えてくる。例えば、外国人観光客を案内する際に、観光レストランやイベントなどに連れて行くよりも、地域の人がよく行くところ、食べるところなど、地元の人たちが普段どのように暮らし、楽しんでいるのかがわかるような場所に案内する方が意外と好まれる。ナイトタイムエコノミーでも、地域独特のまちづくりや、ライフスタイルの“夜”に対して、観光客から「興味深い」、「面白い」などと思ってもらうことが肝要となる(図表5)。
【図表 5】本来のナイトタイムエコノミー
また、同氏によると、海外ではナイトタイムエコノミーを「観光」という意味では殆ど議論しないそうである。例えば、ロンドンが2016年、“創造的な都市が成功するための必要条件”として24時間都市を掲げた際に「“創造的な都市”とは夜に繁栄することである」と表明しているが、ここでの“創造的”の意味は〝文化的価値〟という意味である。また、ニューヨークについても、2019年に公開されたあるレポートにあるナイトタイムエコノミーへの記述には「ビート、文学、ポエム、トークミュージック、ヒップホップ、ジャズ、サルサ、ディスコ、パンクロックなどのようなストリートカルチャー が生まれてきたのが全て夜間であり、それがニューヨークのアイデンティティーである」と強調されている。さらに、世界的な夜の町として知られ、〝Night Mayor〟つまり夜の行政を専門に担当する責任者《夜の市長》がいるアムステルダムでは、「夜は、社会的な階層や文化的な分断がない、皆がフラットになれる場所であり、新しい議論や文化を発信するようなナイトライフが最も重要である」とされている。
これらを踏まえて同氏は、「行政は、ナイトタイムエコノミーには商業的損得の他に、何らかの文化が生まれる時間、皆が拠りどころにしている場所が夜にはある、という一面があることを見極めておかなければならない」としている。
おわりに
齋藤氏は、ナイトタイムエコノミーの議論に関して「夜についてはさまざまな価値がある。ワークショップなどを行うと多彩な意見が出るが、それをまとめると〝文化的価値〟〝社会的価値〟〝経済的価値〟の3つの価値に整理される。コロナ禍前の経済的価値一辺倒のナイトタイムエコノミーに戻すのではなく、これからはコロナ禍後の新たなナイトタイムエコノミーを創っていかなければならない」という問題提起を全国各地で行っている。インバウンド観光の受け皿として注目されているナイトタイムエコノミーだが、経済効果だけにとどまらず、夜が生み出す文化的価値や社会的価値のことを忘れてはならない(図表6)。
【図表 6】夜が持つ多種多様な価値
ナイトタイムエコノミーに関する大手民間企業の動きでは、今年(2024年)の1月末、株式会社JTBとアサヒビール株式会社が、訪日外国人向けに日本ならではの夜の娯楽・サービスを体験できるオリジナルツアーやコンテンツの提供を通じ、上質なナイトタイムエコノミーの創出に協働で取り組むと発表したことが注目される。関連コンテンツの開発や環境整備に共同で取り組むことにより、ナイトタイムエコノミーのモデル事例を構築し、地域社会への経済効果や文化的価値向上へ貢献したいとのことである。わが国におけるナイトタイムエコノミーの推進は、関連コンテンツの未整備やそのプロモーションの未成熟さなどが課題となっていることから、この両社は「非日常や異日常を感じられる良質なナイトコンテンツを開発、整備をおこなうことで市場のけん引役を果たすととともに、訪日客の夜間における消費促進や魅力を創出したい」と表明している。
このような民間のナイトタイムエコノミーへの動きに対する行政の支援は、長崎市や千葉市のように該当する事業の後押しを行うのか、それとも、民間が取り組みやすい環境を作っていくのかの2通りが考えられるが、これからは後者についても一考する必要があろう。
理想的なナイトタイムエコノミーの推進は、夜間の文化的価値の向上とともに、経済的にも潤うこととなるが、前掲のスナック関連ツアーなどは、まさに、わが国独自の夜の文化が驚きの文化体験となって、それが経済にも波及するという、ナイトタイムエコノミーの理想形の1つを開拓したと言えよう。人が国や地域における独自の夜の文化に触れることで発生する驚きや感動から、その文化価値が向上し、経済的な恩恵も発生するという流れが、コロナ禍から明けたこれからの“新しい夜創り”となるだろう。
(2022. 5.24 杉本 士郎)