特定非営利活動法人 長崎海洋産業クラスター形成推進協議会
理事・訓練施設長 松尾博志
1.本稿の概要
2020年10月、菅内閣総理大臣は、日本が2050年までにカーボンニュートラルを目指すことを宣言しました。2050年のカーボンニュートラルの実現には、様々な施策が必要ですが、洋上風力発電はその中心的な役割を果たすことが期待されています。
世界で第6位の排他的経済水域を保有する日本には、洋上風力発電の高いポテンシャルがあり、日本政府は、2040年までに30GWから45GWの洋上風力発電の設置を目標にしています。
※1GWは100万kW、原発1基分に相当。30~45GWは原発30~45基に相当する設備容量。
一方で、日本はこれまで欧州の北海油田のような、海洋構造物の設計や運用の経験に乏しいという課題があり、その設計や運用を行う人材の育成が必要です。現在国内には、洋上風力発電に関わる技術者と技能者は合計で5千人程度と考えられていますが、日本風力発電協会の推計では2030年には約1万6千人、2040年には約3万8千人、2050年には約4万9千人が必要とされています。
図1:国内の洋上風力発電に必要な技術者(エンジニア)と技能者(テクニシャン)の人数
本稿では、洋上風力発電を支える技術者、技能者の育成を行う特定非営利活動法人長崎海洋産業クラスター形成推進協議会(以下、当会)の取り組みについて紹介します。
2.長崎海洋産業クラスター形成推進協議会の概要
当会は、2014年に長崎県内で、海洋再生可能エネルギーを含む新たな海洋産業に参入意欲のある民間企業群によって設立されたNPO法人であり、現在の正会員数は約100法人です。現在多数の事業を行っていますが、今回紹介する長崎海洋アカデミー及びNOA TRAININGの事業の他、環境省の実証事業である五島奈留瀬戸における潮流発電事業や長崎市伊王島周辺の実海域での実証実験をサポートする実証フィールドセンターの運営などを行っています。実証フィールドセンターでは、地元の西彼南部漁業協同組合と当会で、海域を利用した実験に関する基本協定を結び、地元関係者への説明や調整を当会がサポートすることで、企業や研究機関の実海域での実験をスピーディに実現するよう支援を行っています。実海域で洋上機器や水中機器等の試験を行いたい場合は、是非お問合せください。
3.長崎海洋アカデミーが取り組む技術者の育成
長崎海洋アカデミー(正式名称:長崎海洋開発人材育成・フィールドセンター)は、今後急成長が見込まれている洋上風力発電を含む海洋再生可能エネルギーの開発の分野における海洋開発人材の育成の場として、日本財団や長崎県の支援を受け2020年10月に開講しました。全国の洋上風力発電の開発に関わる企業を中心にした受講者の方々へ、長崎大学キャンパス内にて研修の提供を開始しました。洋上風力発電は、今後10年程度の間に急速な発展が見込まれています。一方で、欧州における北海油田のような沖合の技術開発経験の少ない日本では、海洋開発を行う専門人材の数が不足しています。現在、海洋開発を行う技術者は国内に3千人程度ですが、国の目標である2040年30GW〜45GWの洋上風力発電を実現するためには、日本風力発電協会の推計では1万7千人ほどの技術者が必要と考えられています。
図2:技術者を育成する長崎海洋アカデミー
国土が狭く、四方を海に囲まれた日本にとって洋上風力産業には大きな可能性が期待されており、その海のポテンシャルを最大限に活かし、二酸化炭素の排出を減らしていくために、海洋をうまく活用するための専門知識を備えた人材の育成が求められています。長崎海洋アカデミーでは、コースを年間20回程度開催し、年間200数十名の方が受講しています。教育のコンテンツは、洋上風力発電産業の歴史が長く、人材教育も活発な欧州のノウハウを導入し、日本の企業の方々に提供しています。
一方、入札制度や海域の利用に関わる法律については国によってルールが異なるため、その分野については当会と日本海事協会や国内のコンサルティング会社、金融会社等と協力し、日本独自のコンテンツを準備し、研修を提供しています。
表1:長崎海洋アカデミーの研修内容
4.NOA TRAININGが取り組む技能者の育成
これから実際の洋上風力発電所の建設や運転保守が始まり、洋上の現場での仕事を行技能者が必要となります。現在、国内には洋上風力発電に関わる技能者が2千人いると考えられていますが、日本風力発電協会の推計では、2030年に約9千人、2040年に約2万4千人の技能者が必要と考えられています。当会は、日本財団の全面的な支援を受け、2024年11月に洋上風力の技能者を訓練、育成するための施設であるNOA TRAININGを、長崎市伊王島に開講しました。
図3:洋上風力の技能者を育成するNOA TRAINING
洋上での作業の安全を考える上で、私たちが忘れてはならないのは、1988年に北海油田の大規模な火災事故です。パイパー・アルファという石油生産プラットフォームで大規模な爆発、火災が発生し、167名もの尊い命が奪われました。事故の原因分析からは、多くの教訓が得られ、特に石油・ガス産業における安全対策の大幅な見直しが行われ、主な事故の原因は、作業許可手続きの不備、緊急対応システムの問題、安全文化の欠如でした。企業のシステムとして、作業手順書の整備と運用の徹底、緊急対応システムの定期的な点検が必要であると同時に、現場で働く人たちの訓練を通じた安全文化の醸成が必要という認識がなされるようになりました。そのため、 安全文化を構築し、従業員が安全を最優先に考え行動できることができるようにすることが重要と結論付けられ、石油業界主導で共通のトレーニング基準と安全規制を策定し、労働者の安全と技術向上を確保することを目的とするOffshore Petroleum Industry Training Organization(以下、OPITO)が設立されました。
OPITOは、安全性や技能の向上を目指し、業界全体のトレーニング標準を策定し、認定機関として機能しています。現在は世界中でOPITO認定のトレーニングが行われており、石油およびガス業界の労働者にとって標準的な資格となっています。
洋上風力発電は、日本ではまだ黎明期であり、実際に運転を行っている風力発電所は北海道石狩湾新港、秋田港、能代港等、数箇所に限られます。このような状況でも、これまでに洋上での事故は発生しており、対策が必要です。例えば、実証実験ですが、福島県沖の浮体式洋上風力発電では、アクセス船から風車に乗り移る際に作業員の足が船と風車の間に挟まり骨折する事故が2018年に発生しています。また、秋田県能代港の洋上風力発電所では、アクセス船を減速させながら風車にアプローチすべきところを、アクセス船の操船者が操縦を誤り加速しながら風車に衝突するという事故も発生しています。このように、石油ガス産業に限らず、洋上風力発電産業においても、作業の現場は危険を伴うものです。石油ガス業界がOPITOを設立し、安全訓練基準を策定したのと同様に、洋上風力発電業界においても民間主導によりデンマークを本部にしたGlobal Wind Organization(以下GWO)が2012年に設立されました。風力発電業界の主要な事業者(風力タービンメーカーや、発電事業者など)が協力し、世界中の風力発電に従事する人々が同じ標準に基づいたトレーニングを受けることにより、安全な作業環境を実現することを目的としてGWOを設立し、国際的に認められた安全トレーニングの基準を策定しています。加えて、風力タービンの設置やメンテナンスに必要な技術的スキルの基礎を学ぶ基本技能訓練(機械、電気、油圧、ボルト締結など)も策定しています。
図4:GWO安全トレーニング
現在、GWO認定の訓練施設は、世界中で500箇所以上運営されています。英国には50箇所以上の訓練施設が運営されています。一方、日本ではGWO認定の訓練所は10箇所程度と限られており、海難訓練を行うためのプール等の施設を併設して洋上訓練も実施できる訓練所は5箇所程度にとどまります。前述の通り、2030年までには約9千人の技能者が必要になるため、より多くの受講者を受け入れるために日本財団は当会を助成し、NOA TRAININGが設立されました。NOA TRAININGでは、表2のように洋上風力の現場で働く技能者の安全に関わる訓練を2024年の11月から提供し、年間1千人の技能者の育成に向けて取り組んでいます。
NOA TRAININGには6名のインストラクターが在籍しています。元海上自衛隊のヘリコプターパイロット出身で、防衛省の海将補を務めたインストラクターや、長年救急救助の現場で活躍してきた救急救命士、元海上保安官、造船技術者など、それぞれが高い専門性を有しており、専門性を活かした訓練を提供しています。2025年度には、新たに「技能訓練棟」を建設し、電気・機械・油圧・ボルト締結・据付に関する技能的な訓練の提供を開始します。
表2:NOA TRAININGが提供する訓練
また、2026年度には、実際の洋上風力の現場と同じ環境で訓練を実施するための洋上タワーを長崎市高島沖に建設し、実際のアクセス船も建造した上で、洋上での風車への乗り移りの訓練や、動揺するアクセス船からタワーへ安全に荷物を上げ下ろしする訓練など、より実践的な訓練を提供する予定です。図5に示す洋上タワーは、技能者の育成のために建設するものですが、場所は前述の実証フィールドセンター内にあるため、アクセス船や水中機器等の研究開発や実験にも活用していきたいと考えています。
図5:2026年度に完成予定の訓練用の洋上タワーとアクセス船
5.今後の展望
ここまで、洋上風力発電に関わるリスクと、安全訓練の必要性について述べましたが、先行する欧州では着実に成果を上げています。欧州の洋上風力業界での事故件数は、毎年着実に減少しています。また、2026年以降、死者は一人も出していません。一般的に危険度が高いと認識されている洋上の作業ですが、訓練を通じた個々のスキルの向上と安全文化の醸成に取り組むことで、事故は減らせることが実証されていると考えています。日本においても、質の高い訓練を提供していくことで、洋上風力発電産業における事故の低減に貢献していきたいと考えています。
今後はさらに高度な工学的な知識を持ち、洋上風車のトラブルシューティングや、故障予知、点検業務、ROV(Remotely Operated Vehicle、遠隔操作で動く水中ロボット)の操作や管理等に精通する高度技能者の育成や技術支援が必要だと考えています。
洋上風力発電をはじめとする海洋産業における人材育成を通じて、日本の2050年のカーボンニュートラル社会の実現に貢献できるよう、今後も当会一丸となり取り組んでいきます。