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長崎経済研究所

自治体の遠隔型連携 ~旧軍港四市(横須賀、呉、佐世保、舞鶴)の取組みを中心に~


 人口減少が進む一方で行政に求められるサービスが多様化する現代社会においては、自治体の人的・物的資源を有効に使うことが求められる。そのため、行政サービスのすべてを単独で担おうとするのではなく、分野によっては、他自治体と連携する必要性が高まっている。そこで、本稿ではその好事例といわれる旧軍港四市(横須賀、呉、佐世保、舞鶴)の連携を中心にレポートしたい。


1.自治体の遠隔型連携


(1)隣接型の連携
 自治体同士の連携としてよくみられるものに、隣接するいくつかの自治体が共同で消防やゴミ処理といった特定業務を行うものや、スケールメリットを生かして幅広い分野で効率化を図り費用を節減しようという枠組みなどがあげられる(図表1)。


(2)遠隔型の連携
 一方、地理的に離れた自治体との遠隔型連携も行われている。たとえば、文化交流や親善を目的とする友好都市などがあげられるが、近年では、都市部と農村が互いに不足する部分を補う(相互補完型)都市農山村交流や、自然災害の経験から遠隔地との間で災害時の相互応援を約する連携など、より明確な目的を持った連携が進んでいる(図表1)。
 そのようななか、旧軍港四市(以下、単に四市と表記する場合がある)の取組みは、同じような歴史的背景のもと、共通の課題を抱える自治体が連携してその解決および地域振興を図る取組みとして注目されている。


2.旧軍港四市連携の経緯

(1)四市の概要 ~近代以降の歴史を共有~

 四市は、似た景観を持っている。港に造船所が立ち並び、海上には艦船が浮かんでいる。狭い平地を急峻な山が囲み坂が多い。町並みには赤れんがの建物や舗道が目につく。


出所:旧軍港市振興協議会HP
「歴史のみえる丘」から見た呉港の風景。戦艦大和を建造した工場の大屋根という歴史的建造物と、現在も稼働しているや造船所の両方を見ることができる。
出所:呉観光協会

 そしてまた四市は、近代以降に同じような歴史をたどっている。まず、明治期以降、鎮守府(※)が置かれ軍港として発展した。そこでは、船舶を建造・修理する海軍工廠(こうしょう)が設置されていたことから人口も増え(※)商業も発達した。

 しかし、第二次大戦後は拠って立つ基盤を失い、軍関係の遺産を抱えながら平和産業港湾都市への転換を求められることになる。経済面では海軍工廠の技術を継承した造船およびその関連産業が盛んであったが、国際競争の激化などにより造船業が衰退し産業構造が変化してくると、新たな地域振興策が求められるようになっていった。

 そのような状況のなかから四市が見つけたのが、旧軍港の歴史とその遺産を生かすことであり、それが、後述する日本遺産認定につながるのである(図表2、3)。

 ※鎮守府は旧海軍において所管海軍区を統括した官庁。

 ※1920年(大正9)の第一回国勢調査における佐世保市の人口は87,022人。同じく、長崎市は176,534人、福岡市は95,381人、熊本市は70,388人。ただし、市域は現在と異なる。


(2)旧軍港市転換法

 旧軍港四市が特別なつながりをもつ根拠は、旧軍港市転換法(以下、軍転法)にある。軍転法は、四市を「平和産業港湾都市に転換することにより、平和日本実現理想達成に寄与することを目的」として1950年(昭和25)に制定された。その中身は、戦後復興のために旧軍用財産を有効に活用できるよう国が特別措置を与えるものである。


(3)旧軍港市振興協議会

 軍転法に基づいて1954年(昭和29)に設立されたのが旧軍港市振興協議会(以下、協議会※)である(それまでの旧軍港市転換連絡事務局は発展的解散)。

 四市はこの協議会(ないしは協議会をベースとした組織)を主体として、旧軍施設の転用などに関すること、基地交付金等の四市に共通する業務に関すること、日本遺産に代表される観光・地域振興に関すること、さらに災害時の相互支援などについて、各市相互間および関係省庁等との連絡調整を行っている(図表3)。

 ※協議会の事務局は東京。横須賀と舞鶴の職員が派遣されている。



3.旧軍港四市連携の活動


(1)旧軍施設の転用 

 四市は、軍転法に基づき、旧軍施設を都市施設の整備に供するため転用を進めてきた。佐世保の事例をあげると、佐世保市民文化ホール(旧佐世保鎮守府凱旋記念館)や早岐中学校(旧佐世保軍需部早岐倉庫)などの教育文化施設、競輪場(旧潜水艦基地)などの産業基盤施設、上水道施設(旧山ノ田水源地および浄水場)などの生活環境施設、佐世保重工業(旧佐世保海軍工廠)などの民間企業、ハウステンボスの一部(旧針尾海兵団が県針尾工業団地に転用されたもの)といったように多岐にわたる。

佐世保市民文化ホール(旧佐世保鎮守府凱旋記念館)
出所:佐世保市

 佐世保の場合、旧軍施設のうち転用済みは8,039千㎡(60.7%)、未済は5,210千㎡(39.3%)、未済のうち3,757千㎡は米軍への提供施設である。この点、呉と比較すると佐世保の特徴が浮かび上がる。呉は、転用済みが8,832千㎡(92.7%)、転用未済が695千㎡(7.3%)で未済のうち米軍への提供施設が237千㎡(2.5%)である(2024年3月末時点)。同じ旧軍港市でも現在の米軍への提供施設の多寡により転用の状況に違いがみられる。


(2)基地交付金や退職自衛官の再就職等に関する連携と国への要望活動

 四市では、基地交付金や調整交付金に関して、交付金の増額確保等について国への働きかけなどを連携して行っている。

 基地交付金は、国有財産のうち自衛隊が使用する飛行場および演習場等の用に供する固定資産、および国が米軍に使用させている固定資産が対象であり、調整交付金は、米軍が建設または設置した固定資産が対象である。これらの資産には固定資産税がかからず市の税収とならないことから、国から代替的に交付されるものである(2023年度の佐世保市に対する基地交付金は535百万円、調整交付金は250百万円)。

 協議会の業務には、退職自衛官の再就職促進のための取組みもある。地場産業の活性化に寄与できるような退職自衛官の再就職や地域定住のための活動を国や各市と連携して行っている。

(3)災害時における相互応援

 四市は、地理的条件(港、坂の街など)や建造物(旧軍時代の施設など)が似ていることから防災上の情報交換をする会議を開催している。

 さらに、2012年(平成24)には「災害時における旧軍港市相互応援に関する協定」を締結した。この協定は、東日本大震災の教訓を踏まえ各市が遠隔地に位置する利点を生かして被災市の応急対策や復旧対策などを円滑に進めるために締結したものである。  

 2018年(平成30)の豪雨災害で呉が被害を受けたときは、他の3市が物資支援や職員派遣を行った。佐世保は市職員6人(うち2人消防局)が車で飲料水4,000本を届け、現地職員へのヒアリングなどを行った。昨今の災害事案の教訓から、被災地のニーズに応じた支援、応援側の自己完結態勢、支援の枠組みの選択(各市いずれも複数先と協定を締結)などの課題はあるものの、協定の存在は災害対策の上でプラスであるに違いない。



(4)日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~」

①日本遺産認定の意義

 四市連携の大きな転機となったのは、日本遺産の認定である。全国的に産業遺産観光が注目されるなか、旧軍施設等を活用すべく協議会によって認定に向けた活動が進められ、2016年4月、「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~」として日本遺産に認定された(※)。

 日本遺産の認定は、旧軍施設を生活や産業のために生かすというこれまでの取組みから一歩進んで、対外的にも発信してまちを活性化させるという点で意義あるものといえよう。

 ※認定されたストーリーの概要は、次のとおりである。「明治期の日本は、近代国家として西欧列強に渡り合うための海防力を備えることが急務であった。このため、国家プロジェクトにより天然の良港を四つ選び軍港を築いた。静かな農漁村に人と先端技術を集積し、海軍諸機関と共に水道、鉄道などのインフラが急速に整備され、日本の近代化を推し進めた四つの軍港都市が誕生した。百年を超えた今もなお現役で稼働する施設も多く、躍動した往時の姿を残す旧軍港四市は、どこか懐かしくも逞しく、今も訪れる人々を惹きつけてやまない。」(文化庁の日本遺産ポータルサイト)


②日本遺産に関する連携

 協議会では、旧軍港市日本遺産活用推進協議会を立ち上げ、ポータルサイトを開設して歴史的背景や構成資産、関連イベントの紹介を行っているほか、共通デザインの日本遺産サインも活用し統一感をもたせている。

 イベントの例をあげると、年に1回旧軍遺産の研究者による調査報告を通して日本遺産の意義や魅力に迫る「旧軍港四市 鎮守府日本遺産シンポジウム」を持ち回りで開催している(2023年は佐世保市で開催)。また、同じく年に1回四市が一斉に開催している「旧軍港四市 日本遺産MONTH」では、通常は非公開の構成資産もこのイベント期間には公開されることや、学芸員などの専門ガイドの解説もあることから、市民にも観光客にも好評を得ている。もともと「WEEK」(おおよそ1~2週間)だったのが、他都市も周遊できるように開催期間を長くしてほしいという参加者からの要望があって2022年度から「MONTH」(おおよそ1カ月)に拡大したほどである。

 四市として日本遺産を盛り上げていくために、今後は四市間のガイド交流会なども行い、ガイドが他市のストーリー紹介もできるようにスキルの向上を図っていく(※)。

 ※現在でも、元自衛官である呉の軍港クルーズのガイドは、旧軍時代の歴史から今に至るまで、呉はもちろんのこと他市の歴史やそこを母港とする艦船に関することも、ときに実体験も交えながら案内して好評を得ている。

 
 修学旅行の相互訪問も行われており、子どもたちが自分の住むまちだけでなく他の軍港についても知ることで、この連携が将来に向けてつながっていくことであろう。


舞鶴赤れんがパーク(旧舞鶴鎮守府倉庫群)
出所:舞鶴観光協会
東京湾要塞のうち猿島砲台跡弾薬庫(横須賀)
出所:横須賀市

③佐世保における日本遺産観光の取組みと観光客の反応

 四市いずれも日本遺産の案内表示の整備やガイド育成、軍港に絡めたツアー等を行っており、佐世保でもSASEBO軍港クルーズ、港まち佐世保を海から巡るツアーなど、自衛隊や米軍の施設を見ることができる。また、「海軍さんの散歩道」という「鎮守府ゆかりの日本遺産を尋ねる」ガイドツアーでは、普段は未公開の施設の見学や自衛隊内食堂で佐世保鎮守府カレー(金曜日のみ)を楽しむことができる。佐世保市が観光客を対象に行ったアンケート調査では、ほぼ100%が満足と答えるなど高評価を得ている。


④日本遺産認定の効果

 日本遺産に認定されたことで観光面への効果が期待されるところであるが、その後にコロナ禍となり観光客数が大幅に減少したことから効果の有無はわかりにくくなっている。

 佐世保市を例にとると、観光客数は、日本遺産に認定される前の2015年度が592万人、認定された2016年度は571万人、翌2017年度は589万人、2018年度には601万人と増えたが、その後コロナ禍により300万人台に減少。2022年度には430万人まで回復してきている。日本遺産関連施設の入場者数もほぼ同様の動きではあるが、そのなかで「軍港クルーズ」や「針尾送信所」は2022年度の入場者数が2016年度を上回るまでになっていることから、今後に期待したい。


(5)軍港グルメ

 日本遺産と同様に四市が連携している取組みに軍港グルメがある。海軍カレーや肉じゃが、ハンバーガーなど地元の人には当たり前のメニューもあれば、新たに開発したメニューもある。いずれも旧軍港あるいは現在の自衛隊や米軍にちなむという付加価値が加わることで全国的な人気を呼ぶことになった。

 なかでもカレーは軍港ごと、あるいは艦船ごとにレシピの異なるカレーを楽しむことができる。また、肉じゃがについては、呉と舞鶴の間で「発祥地はうち(当市)だ」と互いをライバル視する楽しい論争がグルメ熱を盛り上げている。

 1999年(平成11)からは、「旧軍港四市グルメ交流会」が持ち回りで開催されており、直近2023年10月は呉海自カレー・呉グルメフェスタに出店し同イベントには約8,000人が訪れ盛況であった。


SASEBO軍港クルーズ
©SASEBO
佐世保バーガー
出所:(一社)長崎県観光連盟

 このような、旧軍港市グルメ交流会等における食文化の継承と情報発信の取組みが認められ、2022年、文化庁が主催する「100年フード宣言」事業において、日本遺産ストーリーに関連する「海軍ゆかりの食文化~海軍カレー・ビーフシチュー・肉じゃが~(近代の100年フード部門~明治・大正に生み出された食文化~)」が100年フードの認定を受けた。


(6)コンテンツツーリズム

 四市は、日本遺産やグルメとは違った視点でも注目されている。人気オンラインゲーム・アニメ「艦隊これくしょん(艦これ)」(※)の聖地としてである。その関連イベントには毎回全国から多くのファンが集っており、2023年6月に佐世保市で開催されたコラボイベントの際は、約1万7千人(主催者発表)が来場した。

 ※「艦これ」は、軍艦を女性に擬人化した「艦娘(かんむす)」と呼ばれるキャラクターが敵と戦うゲーム。プレイヤーは「提督」と呼ばれる。


4.旧軍港四市の連携の特長

(1)旧軍港四市連携の特長

 ここまで述べてきたことを踏まえ、旧軍港四市の連携の特長をあげてみよう。まず、ベースにあるのは、成り立ちを同じくし共通の目的や課題を抱えていること。そのため遠隔地にありながら相互理解が早く合意形成が容易で行動に一体感があるのではないだろうか。

 地域振興の取組みであれ国等への要望であれ、各市が単独で行うよりも連携して行うことで存在感が増すであろうし、それが結果的に個々の市のためになっているのであろう。  

 また、日本遺産や軍港グルメなど旧軍施設あるいはその後の自衛隊や米軍といったものを素材にしながら負のイメージをあまり感じさせない点も、広く受け入れられている要因であろう。過去には「旧軍港」であることを前面に出すことをタブー視する時代もあったようであるが、現在では市民にとっては生活に溶け込んだ存在となっており、来訪者にはノスタルジックなものとして、あるいはエンターテインメントとして愛されている(※)。

 ※舞鶴は赤れんが倉庫が多く残ることから赤れんがパークとして観光スポットになっている。また、呉は、繁華街である中通り商店街をれんが舗装(愛称「れんがどおり」)したのをはじめ、都市整備に「赤れんが調」を取り入れた。


美術館通り(呉)。赤れんが調の舗道。
出所:呉観光協会
前畑倉庫群(佐世保)
出所:(一社)長崎県観光連盟

(2)すそ野の拡大

 日本遺産は世界遺産ほどではないものの、少しずつ知名度は向上している。軍港グルメも全国的に知られるようになってきている。

 その一方で、軍転法や旧軍用財産の転活用については地元市民に広く知られているとは言い難いことから、協議会では、子どもも大人もわかりやすく学べるパンフレットを作製した。佐世保市では、これを小学校やインターンシップの学生などに配布している。佐世保に住む人々が自分たちのまちの歴史を学び、日本遺産や軍港グルメの背景を知ることで、まちに誇りを持ってほしいという願いからである。

 同時に、四市の市民の交流も大切であろう。既に行政は各分野での連携がなされているものと考えられるが、そこに市民同士の交流が加わればさらに連携が深いものになっていくであろう。


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 自治体の遠隔型連携は、四市のように共通する課題の解決を目指すものの他にも、性格の似た都市同士が交流するもの、都市と農村のように互いに補完し合うものなど様々である(図表1)。

 今後も、①デジタルツールやバーチャル技術の普及により地理的距離による制約が小さくなることが予想されること、②災害や感染症の流行を勘案すると近隣自治体との連携のみに頼るのはリスクもあること、③テーマや目的に合った相手を選ぶ選択範囲が広いことなどから、自治体の遠隔型連携が増える可能性は高いものと考える。

○参考資料等

・「海と歴史がつなぐ、4つのストーリー -横須賀・呉・佐世保・舞鶴 平和産業港湾都市 旧軍港4市」、https://www.kyugun.jp/index.html、旧軍港市振興協議会

・「自治体の遠隔型連携の課題と展望―新たな広域連携の可能性―」、公益財団法人日本都市センター、2017年3月

・関係市・県のHP

・「日本遺産 ポータルサイト」https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/stories/story035/ 、文化庁

・「軍港都市の一五〇年  横須賀・呉・佐世保・舞鶴」、上杉和央、吉川弘文館

・「旧軍港市転換法施行70年のあゆみ」、「歴史のまち 未来のまち 旧軍港四市  旧軍港市転換法施行70周年」、旧軍港市振興協議会、2020年10月

※webサイトの最終閲覧はいずれも2024年7月11日 

(2024.7.16  宮崎 繁樹)

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