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長崎経済研究所

【新しい風】 今、私が長崎に貢献できること

株式会社INTERMEDIA 代表取締役
株式会社水脈(mio) 代表取締役   佐々木 翔

 1984年長崎県島原市生まれ。18歳まで島原で育ち、その後大学・大学院時代の7年間を福岡で過ごし、東京の建築設計事務所「SUEP.」に就職。5年間の実務経験を経た後、2015年に30歳で島原に帰郷。父が1989年から設立していた建築設計事務所「INTERMEDIA」に合流し、新築の公共施設から民間の小さな改修まで県内外の様々な建築・空間設計を行ってきた。2022年からは同社代表取締役。同年、島原市での新たな地域拠点交流施設「水脈 mio」の代表取締役に就任、2023年3月より開業。また、九州大学・長崎大学・福岡大学・佐賀大学・鹿児島大学の非常勤講師を務め、インターンシップ等で数多くの大学生が島原を訪れている。

はじめに

 はじめまして、佐々木翔と申します。島原市で建築設計事務所の代表をしております。福岡で約7年間、東京で約5年間過ごした後、島原へ帰る決断をしました。今回は地元へ帰ることを決断した経緯と、そこからどんな活動を行ってきたのか、そして今、どんなことに興味があるのかについて綴りたいと思います。

帰郷までに

 私は当初から島原に帰ることを決めていたわけではありません。むしろあまりそのつもりは無く、大学を過ごした福岡か、社会人で暮らしていた東京か、都市的な場所で自ら独立して設計事務所を立ち上げるイメージを持って大学以降の人生を過ごしていました。

 そこからなぜ島原へ戻る決断に至ったのか、端的には二つあります。ひとつは物流とネット環境の安定です。島原でも2015年時点で翌日にはほとんどの物資が届くサービス(ASKULやAmazonなど)が展開されており、光回線も開通しており、その状況だけ見れば都市的な環境と何ら遜色ない状況でした。たまに帰郷する度にそのことに気付き、意外とこんな田舎でも仕事できてしまうんだなと実感していました。もうひとつは都市部と地方での建築設計者の立場の違いです。特に東京ではほとんどのエリアで人為的な開発が進んでおり、設計者として何か携わろうとしても相手が大企業だったり規模が大きすぎたりして、何の人脈もなく実績もない独立したての私が活動するイメージが全く湧きませんでした。もしくはとても小さな改修から仕事を始める選択肢もありましたが、あまり未来をボジティブに考えることが難しかったなと今では思います。

 一方で長崎・島原にたまに帰ると、父がINTERMEDIAで進めていた仕事がとても魅力的なものばかりに見えました。ヒューマンスケールの程よい規模で、まだまだ新築の機運があり、クライアントとの距離も近い。また、自分がこれまでの人生で培ってきたものを、建築を通して地元に還元できるかもしれない、という喜びもあるような気がしました。少なくとも今、この時代で建築設計を行うには長崎へ帰ることが理想的に思えました。

2010年3月に竣工した長崎港松が枝国際ターミナル。
大学院生時代にプロジェクトの一員として関わり、
自身で図面を描いたものが初めて立ち上がり、
我が子が生まれたような感動を覚えました。

建築設計の専門家としての想い

 そして2015年、私は長崎・島原へ戻ってきました。父が進めていたプロジェクトが多くあり、まずはそこをサポートする形から入りました。そして新規の依頼があれば、徐々に私の考えを、プロジェクトを通して形にしていく作業を繰り返していました。まず前提として、父やINTERMEDIAへのリスペクトがあります。少なくとも何も実績のない私に依頼が来ているわけではなく、父がINTERMEDIAで1989年から培ってきた実績や関係性の賜物であることが前提にあります。その中で私に何ができるのかを考えていました。その中でほぼ最初に携わったプロジェクトが「音楽ホールの山」でした。諫早市で依頼を受けた住宅のプロジェクトで、結果的にストップしてしまったのですが、建築界の若手の登竜門と呼ばれるSD Reviewで入選を果たし、そこから母校である九州大学の恩師から非常勤講師のお誘いを頂いたり、学生から卒業設計展の審査員として呼んで頂いたりなど、少しずつ私自身を知って頂いたり求めて頂く場面が生まれてきました。

① 音楽ホールの山
|第34回SD Review 2015 入選|鹿島出版会
② 音楽ホールの山 断面イメージ

※写真①、②はクリックすると拡大

長崎のカステラ工場
|Architects of the Year 2019 入選|日本建築設計学会

 それからしばらくは、あくまで建築設計の専門家として、長崎の社会やまちに貢献したいと思っていました。もちろんその想いは今でも根底にありますが、もう少し開かれた貢献の仕方もあるのかもしれない、と思い始めたのが2018年頃です。

武家屋敷オフィスの開設

 INTERMEDIAの本社は島原市有明町にあります。有明町は平成の大合併までは南高来郡であり、農業・漁業等の第一次産業が盛んな町です。つまり周囲は田畑に囲まれた豊かな風景が広がっているのですが、それらはあくまで一次産業的なものであり、町並みや文化のようなものはあまりありませんでした。一方、車で15分ほど南下すると島原市の中心部があり、島原城を中心とした湧水にあふれた文化的な景観や町並みが今でも残っています。せっかく島原を拠点に暮らしているのであれば、そういった環境を目の前にして活動を行っていくと何か発見があるかもしれない、と漠然と感じ、INTERMEDIAのサテライトとして武家屋敷オフィスを開設することにしました。それが2018年です。

③ INTERMEDIA武家屋敷オフィス内部
|長崎県島原市|2018-2022年 
④ INTERMEDIA武家屋敷オフィス【外観】

※写真③、④はクリックすると拡大

 このオフィスの開設後、島原半島へ移住してきたスタッフが増えました。大阪、東京、兵庫、香川、福島などなど、九州外の出身者が大半を占めています。2023年からは更に東京からの移住者が2名増える予定です。

HOGET(西海市)やuminoわ(東彼杵町)での出会い・発見・渇望

 そして、偶然なのか必然なのか定かではないですが、この頃から設計するプロジェクト自体が少しずつ変化してきました。まず、リノベーションの案件が増え始めました。最初に実現したのは2018年、五島列島・小値賀町の「おぢか薬局」です。

おぢか薬局|長崎県北松浦郡小値賀町|2018年

 その翌年、2019年から西海市の「HOGET」、2020年には「uminoわ」のプロジェクトがスタートしました。この3つのクライアントはほぼ同年代・友人のような間柄であり、いわゆる建築設計の議論だけでなく、そもそもなぜこの建築を必要としているのか、その用途の必要があるのか、日頃どんなことを課題として向き合っているのかなど、クライアントの根幹の部分まで根掘り葉掘り話を聞くことを行っていました。「おぢか薬局」に関しては、小値賀島に調剤薬局が無いという明確な課題があり設計方針を定めやすかったのですが、「HOGET」と「uminoわ」は共通の要件として『過疎化した場所で人が集う場をつくりたい』でした。まず私は設計者として、用途が定まっていない建築を設計できることへの高揚感がありました。今まで見たことのないような建築が生まれるかもしれないと思ったからです。同時に、過疎化が進行している長崎・島原にUターンしてきた身として、本当にそんな夢のような場所を実現できるのか、という期待感と懐疑的な気持ちが共存していた気がします。

⑤ HOGET|長崎県西海市|2020年|
撮影:YASHIRO PHOTO OFFICE
⑥ uminoわ(写真左下の三角形の建物)
|長崎県東彼杵町|2022年|
     撮影:YASHIRO PHOTO OFFICE     

※写真⑤、⑥はクリックすると拡大

 我々は場をつくる設計者の立場として、クライアントは運営者の立場として、とことん話し合いを重ねて、いずれも無事に実現に至りました。それから何度も足を運んでいますが、びっくりするのは、HOGETやuminoわに行くと、必ず誰かと出会うんです。特にHOGETでは、地元・島原では会ったことがない島原在住の方とこの2年間で何度も出会いました。

 そこで僕は思ったんです。こういう場所はきっと身近に点在しているべきだと。SNSによって直接会わなくともコミュニケーションが図れてしまう時代だからこそ、また子供や孫が都会に居て身近に居ないことが多いエリアだからこそ、きっと物理的に出会い、話したり、新しい何かを見たり聞いたりすることを渇望しているんじゃないかと。それが僕が地元の島原で「水脈 mio」の活動を行う原動力になっています。

水脈へ込めた想い

 「水脈 mio」はつい先日、2023年3月25日に開業を迎えました。前述のとおり、様々な人が気兼ねなく集い、行き交うような場を地元につくりたいという想いがあります。水脈はもともと「旧堀部家住宅」という築170年超の古民家で、島原市が所有しているものです。まず2020年12月、この建物をワーケーション施設として利活用するための設計プロポーザルが行われ、我々を含む設計チームを選定頂きました。その後、2022年5月には運営のプロポーザルも実施され、こちらも島原市から選定頂き、運営も行うことになりました。つまり本業として施設設計を行うまでは「HOGET」や「uminoわ」と同じですが、はじめて運営まで担うことになりました。機能としてはカフェ、宿泊施設、コワーキングスペース、イベントスペース等が複合したものです。この中のコワーキングスペースにはINTERMEDIAのサテライトオフィスも入っており、数名のスタッフが水脈を職場として日常的に出入りしています。つまり、INTERMEDIAのオフィスが地元に開かれた施設とも言えます。

 場所は島原市万町アーケードの中程に位置していて、雨天時にもアクセスは良好です。周辺に魅力的な飲食店や観光コンテンツが点在しているため、水脈ではあまり強いコンテンツを持たないようにし、むしろ島原に元々ある魅力的なものを紹介し、実際にその場所にアーケードを介して行って頂くことで、島原全体の良さを知って頂くような取り組みを行っていきたいと思っています。例えば宿の夕食は、アーケードの向かいにある「お料理 まどか」にて提供します。例えばカフェで提供しているフードの食材はすべて島原半島内のものであり、必要があれば販売しているスーパーや生産者をご紹介することもできます。飲料水はすべてその日に汲んだ湧水であり、客室の庭や屋内にも常に湧水が流れており、島原が育んできた文化そのものを実感することができます。島原の住民は、元々湧水所に集まり、野菜の泥を落としたり魚を捌いたり洗濯物をゆすいだりしてきました。

 水があり、そこに人が集う。そんなとてもプリミティブな振る舞いが残るこの島原で「水脈 mio」として、これからも人が集う場を展開していきたいと思っています。ぜひ皆さま、湧水で淹れたコーヒーを飲むだけでも、ゆったりとご宿泊頂く形でも構いません。何か水脈を活かしたイベントがあれば大歓迎です。ぜひ一度お越しください。

⑦ 水脈mio|万町アーケードからの外観
|2023年|撮影:taratine
⑧ 水脈mio|湧水流れる元炊事場とソファ
|2023年|撮影:taratine
⑨ 水脈mio|2階コワーキングスペース
|2023年|撮影:taratine
⑩ 水脈mio|せせらぎの湧水庭と客室「雫」
|2023年|撮影:taratine      

※写真⑦~⑩はクリックすると拡大

 そして、すべての活動の基本として、本業のINTERMEDIAがあります。これらの活動が本業の建築設計にどのような影響を与え、今後どんな建築を生み出していけるのか。設計という行為そのものは場所を選びません。水脈で得た知見を、様々な場所で、様々な形で展開し、長崎に少しでもポジティブな貢献ができれば。そう思いながら、島原から日々活動していきます。

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