コミュニティの持続性を担保するのものとは
平井 杏奈
略歴
2011 年 立教大学 社会学部 卒業
2011 年 – 2012 年 農山漁村文化協会 北海道支部
2012 年 – 2015 年 長崎市地域おこし協力隊 琴海地区担当
2013 年 – 「琴湖ひとまちづくりラボ いなカフェ」理事
及び 事務局
2015 年 – 有限会社トモメディカルサービス 勤務
2016 年 – 2018 年 コミュニティカフェカーム・文化舎
クリキンディ運営
2018 年 – 2020 年 長崎市市民力推進委員会 委員
2019 年 – 一般社団法人長崎福祉サテライト 代表理事
及び 事務局
2019 年 – 2025 年 長崎市総合計画審議委員会 委員
2023 年 – 2025 年 長浦みらいまちづくり協議会 会計
1.琴湖のほとりにて
私が今住んでいる琴海地区は、琴湖と呼ばれた内海のほとりの地域です。琴湖とは、江戸後期の儒学者、頼山陽が漢詩の中で「琴の音のような波の音、湖のような穏やかな海」と歌ったことが由来のようです。「きんこ」(琴湖)転じて「ことのうみ」(琴の湖)とも呼ばれていました。現在は大村湾と呼ばれています。かつて大村藩に属していた琴海地区ですが、平成の大合併などを経て、現在は長崎市の一部となっています。そこに地域おこし協力隊としてやってきたのは2012年。今から13年前のことです。
東が西武で西が東武な池袋の迷路で迷いながら学生をしていた私ですが、縁があって熊本水俣や沖縄西表島等にフィールドワーク(現地調査)にでかけ、それぞれの土地で地域づくりをする大人の姿にあこがれ、最初の就職は全国の農山漁村をめぐることができる出版社に就職しました。しかし北海道支部に配属になったところ、あまりの寒さと日照時間の短さ、雪かきの大変さにぐったりし、ロシア方面から流れてくる分厚い流氷を見ながら転職を決意しました。そうして、地域づくりを仕事としてできる「地域おこし協力隊」という制度を活用して、雪が降らないであろう、暖かい長崎にやってきました。
協力隊の活動としては、カメラを携えてあちこち顔を出し、インタビューして記事を書き、平成の市町村合併時に無くなってしまった地域のウェブサイトをつくったり、地元学の手法にのっとった公募写真展の主催と巡回展を行なったりしました。また、「琴湖ひとまちづくりラボ いなカフェ」を立ち上げ、利用頻度の低かった地元の施設の利活用推進のイベント(季節の「いなカフェ」や、連続講座「いっしょに学ぼう、農的暮らし」など)を開催しました。
2.移動する自由を互助するしくみ
現在、私が活動している「一般社団法人長崎福祉サテライト」では、“福祉有償運送”を手掛けています。この福祉有償運送とは、福祉の観点から運ばれる人、運ぶ人、運ぶ車両をあらかじめ運輸局及び市の運営協議会に登録することで、地域の人により、地域の困っている人を運ぶことができる互助の仕組みです。田舎では車がないと病院にも買い物にも行きづらく、高齢になって移動手段がなくなると、都会に出ている娘息子の住む地域の高齢者施設へ転出してゆく、という話は珍しくありません。民生委員さんや近所の人が連れて行ってあげることも、長期頻繁にはなかなか続きません。住み慣れた地域で暮らし続けることができるように、頼む方も頼まれる方も気兼ねなくお願いできる有償ボランティアを可能にしたのが「福祉有償運送」という仕組みです。もともとは、透析患者の家族の方が互助で持ち回りしていた送迎を、有償ボランティアで自家用車により行うことができる、と国が定めたことが始まりです。ボランティアは、日本ではなぜか「無償」という意味で定着してしまいましたが、もともとは「自発的な」活動という意味です。経費持ち出しの手弁当では、内発的動機を発露させた人(ボランティア)の体力や気力などが燃え尽きてしまい、さらに支援団体も倒れてしまうと継続性を失ってしまうことが多いですが、ありがたいことに「長崎福祉サテライト」は細々ながら今も続いており、今年で10年目を迎えました。
3.「住民参加のはしご」と参加の濃淡
まちづくりと言えば、かつてツタの絡まるレンガ造りの講堂で、私をフィールドワークにいざなってくれた恩師が教えてくれた「アーンスタインの住民参加のはしご」を忘れることができません。「住民参加のはしご」とは、米国の社会学者のシェリー・アーンスタインが、行政と住民との協働のまちづくりについて1969年に表現したものです(図1)。協働の様々な形を整理して、はしごの下から「世論操作」「緊張緩和(ガス抜きのための説明会)」「情報提供」「意見聴衆・協議」「懐柔」「パートナーシップ」「委任された」「市民による自治」の8段になっています。1~2段階は住民参加とは言わず、3~5段階は形式上の住民参加、6~8段階で初めて住民の力が生かされる住民参加だと述べています。
つまり、協働で実質的に「まちづくりをする」ということは、市民が行政からサービスを受けたり、情報をもらったりする。また、まちづくり懇談会でのヒアリングや、陳情・署名を渡したり、議会傍聴を行ったりすることなどにとどまらない、計画及び意思決定や運営にかかわりを持つ(自治)ことです。
とは言え、世の中には解決しなければならない課題が星の数ほどあります。人間はそれぞれ24時間しか持たないために、生存や生活を維持していくために時間を割り振らなくてはなりません。課題につかまってしまった人が、「参加のはしご」のなかで最上段でかかわる課題もあれば、一番下の段に足をかける課題もあるなど、それぞれができることをできる分だけ、濃淡のある参加方法でもがきながら、時に横を見て手をつないでいくことができればと思っています。
4.まちづくりへのかかわり方の一例
現在、私が参加している長崎市の「総合計画審議委員」は、まちづくりの骨子「総合計画」について、市役所内で立てたものを、委員会に集った様々な市井の人々が、あらゆる視点から審議し、意見交換し、ブラッシュアップしていく会議です。市の広報誌「広報ながさき」の後ろのページには、その他の委員の募集も載っています。この春は、「長崎原爆資料館運営審議会」や「長崎市まちなか賑わいづくり活動支援補助金交付審査会」等の募集があっていました。市民か、市内に通勤・通学している方で、他の審議委員会の委員ではなく、公務員や議員でなければどなたでも応募できるそうです。私が「審議委員会」というしくみを知ったのは、いなカフェのメンバーに「応募してみんね」と言われ「長崎市市民力推進委員会」に応募したのがきっかけでした。参加してみたところ、市役所でどのように施策が編まれているのかを見ることができて勉強になりましたし、パブリックコメント(国の行政機関が、政令や省令等を定めようとする際に、事前に広く一般から意見を募集し、参考にすること。略して「パブコメ」と言われたりする社会参加の方法の一つ)よりも直接顔が見える状態で意見交換ができるので、おもしろくもありました。
5.変化の激しい時代の生存戦略
現在、私が働いている福祉の現場で、対人援助の倫理として大切にされていることに「相手の自己決定権を尊重できているか」、「パターナリズム(家父長主義:より力があり、より賢い私があなたのためによい方法を決めてあげる)に陥っていないか」があります。そのために重要な姿勢が、「傾聴と受容ができているか」です。この「傾聴と受容」の実践について、私がここ10年弱地域とかかわった中で出てきた実感は、「私たちのいないところで私たちのことを決めないでください」ということです。
これは「コミュニティへの参加の度合いが上がるほど、おもしろさと自己効力感が高まり、コミュニティへの帰属感も高まるのではないか」ということです。参画しないことにより、自己効力感とコミュニティへの帰属意識が下がっていき、ボイコットにつながっているという事例が多く見てきました。コミュニティの持続性とレリジエンス(困難を乗り越え回復する力)を担保するためにも、女性も若者も、動員の駒ではなく、ともに未来を生きていく当事者同士として、意思決定の場に招き入れてほしいです。現代のような変化の激しい時代には、DEI(Diversity・Equity・Inclusion 多様性・公平性・包括性)はきれいごとであるのと同時に、欠かすことのできない生存戦略です。
6.さいごに
何かの意思決定の場に、包摂したい多様な人々が声を出せる存在として存在していますか?声をあげやすい場の設計ですか?もしあなたがキャスティング権を持っているならば、構造や権力勾配に注意を払ってほしい。ないなら声をあげてほしい。声をあげにくいなら、横の人と問題についてお喋りするのもよい。普段喋らない人が声をあげた時に大きくうなずくだけでもいいと思います。少し用法は違うかもしれませんが『アクティブ・バイスタンダー(行動する傍観者)』という考え方が、私はとても好きです。当事者や、最初に声をあげる人になることができなくても、できることがあり、後に続く『善良な普通の人』が増えてゆくことで世の風が変わっていくことが期待できます。
長崎が、多くの人から愛され、関わり続けたいと思う場所であること、コミュニティとして更新し続けることが可能なことを、琴湖のほとりから願っています。